ハレルヤ! あおです。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。 ゜
今回のタイトル…
皆さんが気になることかなぁと思ったので
書いてみます! ( ・ㅂ・)و̑✧
私が御言葉を学び始めたのは、大学生の時です。
国立理系の大学に通っていました。
2年生になった春、友達の一人が
学校に行くことが辛くてカウンセリングに通っている
と、打ち明けてくれました。
理由は、
同じ学科の男子に、悪口を言われている気がするから。
事実を確認するすべもなく
その子が考えを転換できたらと思って
アレコレと話をしてみたのでした。
しかし、
「そういう風に考えられたらいいけどね…」
と、言われただけでした。
この時、
「今の自分ではこの子を助けられない…!」
という、限界に至ったわけです…
… (´・ω・`)
そんなタイミングで
御言葉に出会うことになりました。
+。:.゚アラヽ(・∀・)ノ゚フシギ.:。+゚
学び始める前に、
人を助けたいなら
自分がまず穴から出てこないといけないヨ
と、言われました。(-∀-`)
穴に落ちている人を助けたいなら、
自分が穴に落ちている立場だったら救えない。
少なくとも穴の外にいる人であってこそ
穴の中の人を、引き上げてあげられる。
だからまず、【自分を作ること】
それが穴の外に出ることだよ、と。
ぬぇ~~(*・ε・*)
という心の声はありましたが 笑
受け入れたわけです。(。-ω-)
そして
自分がスポンジになったと思って
学んで吸収してみようと
思ったのでした。。
これが、私のいきさつです。
当時は
“まず自分から”って、そんなぁ( ´-ω-)σ
と思いましたが、
今となっては
“ほんとうにそうだな”
と、つくづく思っています。
なぜ人は
涙の数だけ強くなれるのでしょうか。
なぜ、涙を流したぶんだけ
優しくなれると言うのでしょうか?
それは、
痛みを知っていて
痛みを乗り越える過程を知っていて
そして
乗り越えて出てきた喜びと甲斐を知っているから
だと、私は思います。
《知っているから》
他の人にも寛容になれて、優しくなれる。
強くなれる。
人を助けられる人は、
苦しみが無い人ではなく、
“苦しいこと”が“どういうことか”知っていて、
苦しいことを越える過程を経て、
喜びに至れた人だということが、
今は、わかります。(´∀`*)
だから
《私が》まず、“苦しいこと”と向き合って
もがいて出て来るしか
なかったのです。
そういう理致。
そういう法則。
だから、先生も
沢山、苦労をして
沢山、悩んで
実践してから、もらった御言葉だと
教えてくださいました。
なんで私が御言葉を聞いたのか?
それは、
1人のリケジョが{自分の限界}という壁にぶつかって、
御言葉で解決できるのか、
《自分を使って》実験してみることにしたから
でした (*・∀・)b˚✧₊