ハレルヤ! あお なり。(。-ω-)ノ
こういう詩があります。
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なにもいらない
ほかになにも
すべて得たから
満ちたから
なにもいらない
すべてと同じ
主を得たから
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はい、今作りました。(つまり作者は あお)
(………(゚ロ゚;))
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイによる福音書 6:31-33
これまた有名な聖句でございマス。:*+゜゜
人は、
(神様から見ると)ドングリの帽子くらいの小さな頭を満たそうとして、
あれもこれも もっともっと、と際限無く欲しがっては、
自分の心と考えを満たそうと努力する、
ということを先生が教えてくださいました。
しかし、昨日の記事にも書いた聖句のように
実は必要なものは多くないのですョね。
むしろ、
核ひとつ掴めば、
それ(核となるもの)を得てしまえば
あとは、“おまけのように”
全て神様が与えてくれる、ということです。
「あれもこれも、それもこれも
もっと無いと満たされない」
というのは、
もしかしたら
“本当に必要な 核ひとつ”を掴めていないから、
【得たようで得ていない虚しさ】が
無くならないのかもしれないですね。
“核を得た者が、全てを得た者だ”
これは、霊的な言葉であって
「え、じゃあ、この世の全部手に入れられるの⁈ 世界征服⁈」
というオナハシではありませんヨ。no!(乂∀・)
【本当に必要なもの】を知る人は、
{足るを知る}ようになり、
自分が持っているもの、与えられているものの価値に気づくことができて
結果、
「もう何もいらない(全てあるから)」
ってなるのかなぁ、と思いました。
以上、ある時は 詩人の あお ですた。
(*・∀・)ノ。:.゚アンニョン* (←コレ気に入った。)