ハレルヤ! あおです。(*´∀`)ノ。+゜*。
新しい季節、
新しい出会いと転換のときですね+*
新しいものを迎え入れる時というのは
誰しもが
多かれ少なかれ
抵抗感を感じるものですが、
適応していけばいくほど
【新しくて次元の高いもの】が
いかに良いのか
実感が湧いてくる
というものです。((´∀`*))
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
コリント人への第二の手紙 5:17
ユダヤ教でも、
イスラム教でも、
キリスト教でも、
信仰の祖 “アブラハム” は
”同一人物“だし、
【唯一の神様】も、
【同一の神様】です。
では何が違うのでしょうか?
ユダヤ教は
キリストを待っていたけれど
キリストを迎えられず
未だに待っている宗教で、
イスラム教は
キリストを迎える血統から分かれて
キリストを迎えなかった宗教で
キリスト教は
キリストを迎えた宗教です。
人が
《新しく生まれ変わる》方法は
ひとつです。
肉体は
死んで腐るか、燃やされて無くなったら
再生させることはできません。
《認識の転換》が
人が《新しく生まれ変わる》こと
です。
考えが変わり、行ないが変わると
『人が変わったようだ』
と言うのではないですか?( ・∀・)
人が認識の転換をすることは
簡単ではありません。
天動説から地動説に認識を変えることが
簡単だったでしょうか?
地動説を提唱したガリレオは
異端尋問にかけられ、
殺される可能性もありました。
しかし結局、
事実が証明され
真実を受け入れざるを得ない時が来ると、
人々は天動説から抜け出すようになりました。
当時の状況の中を生きてみなければ
分からないことですが
固定観念を抜け出すということは
容易ではありません。
”まさか そんなこと、あるわけ無い“
と、人々が否定したその瞬間にも
変わらずに
地球は回っていたのですが。(-∀-`)
《神様》についても
私は同じだと考えています。
いるとかいないとかの議論によって
神様が存在するのではありません。
神様は存在します。
私たち人間よりも先に存在しています。
胃腸が見えないからといって
無いのでしょうか?
食べ物が消化されて排泄物が出てくるのを
見れば、胃腸があるのを認められます。
風が見えないとしても
木の葉が揺れるのを見たら
風を見たことです。
”神様がいない“ことを証明した人は
アウストラロピテクスから今日まで
数百万年経っても、誰もいません。
しかし、
あらゆることを通して
“神様がいる”と主張している人は
限りなく多いです。
神様はどこにいるのか、と言うのですか?
宇宙の果てよりも先、
地球から464億光年以上離れている
宇宙の外の〈天国〉に
いらっしゃいます。
たまに
「宇宙から何か聴こえてきた、降りてきた」
と言う人がいますが、
宇宙ではなくて
宇宙のその先の天国にいらっしゃる神様から
霊感、直感、インスピレーションが
来ているのです。
(※雑霊や悪霊の啓示を受ける人もいますが)
宇宙にある惑星や星に
【意志】はありません。
星はただの石です。
意志が無いのに、
人間に何かを”与える“ことはありません。
意思を持つ者、つまり《神様》が
人間に啓示されるのです。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、
かつ実現に至らせるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからである。
ピリピ人への手紙 2:13