鄭明析(チョン・ミョンソク)氏はイエス・キリストではない

鄭明析(チョン・ミョンソク)氏はイエス・キリストではない

Pocket

ハレルヤ! あおです。ヽ(・∀・)ノ゚

 

昨日はクリスマス礼拝を捧げて、イエス様の聖誕をお祝いしました。

 

摂理では、赤子のイエス様(飼い葉おけで眠っている生まれたばかりの時)にだけフォーカスを当ててお祝いするのではなく、

イエス様の一生涯、そして十字架にかけられて亡くなられ、

霊で復活なさった さらに その後のことまで…Σ(・ω・ノ)ノ!オォー

 

詳しく先生が教えてくださるので、

イエス様について《本当によく分かって》

イエス様をすぐ近くに感じながら クリスマスを過ごせます。゚*。+゚*。

 

さてさて、このブログは キリスト教福音宣教会<摂理>について

よく知らない人に向けて書いているわけですが、

今日のタイトル 『鄭明析(チョン・ミョンソク)氏はイエス・キリストではない』について

書いていきたいと思います。(-ω-。)

 

 

結論から言うと、ズバリ・・・!

 

鄭明析(チョン・ミョンソク)先生は、キリスト・イエスではありません!!!!

 

このことをはっきりと伝えておきたいです。

 

「摂理の教祖って自分が再臨主・メシヤ・キリストだと言って、洗脳しているんでしょ?」

という誤解が無いように、 ハッキリ しっかり 書いておきます。

 

 

先生はキリスト・イエスではありません!!!!(もう一回ッ!( ・ㅂ・)و̑キリッ)

 

 

それなら、

摂理の教祖:鄭明析(チョン・ミョンソク)氏はいったい何者なのでしょうか?

 

それは

 

【キリスト・イエスについて地球上で最も詳しく教えられる人】

 

と、私は表現したいです。ヽ(・∀・*)

 

なぜそんなに詳しいのかって?

それはまさしく、本人に学んだからです。

 

ええ、そうです。(´∀`*)

イエス様ご本人が、鄭明析先生を直々に教えたのです。

 

いつって?

 

先生が本格的にイエス様から学び始めたのは、15歳の時からだとおっしゃっていました。

ちなみに先生は1945年生まれです。❀

 

20年以上、深いお祈りをし、聖書を数千回(!!)も読みながら

祈りの中でも学び、生活の中で実際に経験もしつつ

ほんとうに多くのことを学んだ ということです。

 

聖書に隠された秘密だけではなく、

宇宙の星々のことや 人体・医学などもイエス様から

そして神様から

先生は直接学びました。

 

そのような霊界と肉界の理知と秘密に関する”研究結果”とも言える福音を携えて

1978年から、御言葉を人々に伝える仕事をしてきました。

 

先生が一番多く教えてきたことは

イエス様のことでした。

 

イエス様の生涯、経験なさったこと、

イエス様の人格と、教えてくださった御言葉

 

それらをけっして、<自分の話>として伝えるのではなく

「イエス様がおっしゃった」「イエス様が話されている」と

はっきりと伝えてこられました。

 

しかし、

その話される声には温度感があり、身を持って経験したかのごとく 実感を持って伝えられていることも

また事実です。

 

なぜなら、イエス様がなさった多くのことを

先生も同じように実践し、経験なさったからです。

 

病人のために祈ってあげ、治してあげること

食べるものが全くない状況で 何十日も祈り続けること

反対する人が多くても、命を狙われることがあっても福音を伝え続けること

敵・反対する人たちまで愛すること

乞食のような人たちに良くしてあげ、友達になること

 

人を救う仕事をなさったイエス様を心から尊敬し、

自分もそのように人々のために生きたいと願って

 

イエス様のように行なってみながら生きてきた

 

それが

私の尊敬する鄭明析先生なのです。°  (´◡`)  °

 

 

イエス様はイスカリオテのユダによって裏切られ、十字架にかけられる運命になりましたが

イスカリオテのユダというのは、お金の管理を任されていたわけですから

それだけ信頼されていた弟子のはずです。

 

でも、そのような信頼していた弟子に裏切られたイエス様は

当時の極刑である十字架の刑に処せられました。

 

極悪人として扱われ、

名誉も無く、地位も無く人生を終えました。

 

イエス様の遺産は、人類を救う福音ただそれだけでした。

 

その福音が2000年のキリスト教をつくりました。

 

もちろん、イエス様が生きていたときにも

一部の人たちは

《自分を救いに来られた、神様の送った人》だと認め、信じていましたが

“世間からの扱い・見られ方”は “罪のある人”のようにされました。

 

2023年現在に至っては、

イエス・キリストを《自分を救ってくれる人》だと思うかどうかは別として

少なくとも、イエス様を “罪人”として考える人はいません。

 

しかし、イエス様の生きている間、その生涯は

人から賞賛される人生ではなく

むしろ多くの反対と裏切りを受けながら、愛を貫く人生でした。

 

 

私たちの先生もやはり、

賞賛を受けることよりも

もっと多かったのは、反対と裏切りと誤解と苦労です。

 

現在進行形の裁判についても

率直に言うと裏切りが発端で

 

体よく先生を悪人にしたい思惑の歯車が

動き出してしまったというところです。

 

 

現代では

イエス様は世界的にも

愛の人、愛の聖人として知れ渡っていますよね?

 

イエス様のような生き方をしてこられた先生の精神もやはり

第一に愛です。

 

恨みつらみや、相手をとにかく批判することは

大体の人間ができることですが

 

恨まず、憎まず、

いつ どんな時も神様に感謝して、大変な境遇の中でも喜びを見出し、

たとえ自分に害を与える人であったとしても、愛してゆるすというのは

 

どんな人ならできると思いますか?

 

 

キリスト・イエスの精神を持った人ではないでしょうか。

 

 

そう、キリストの心を持っている人ではないでしょうか。

 

 

私は、

鄭明析先生はキリストの心と精神を持っていると思います。

 

 

それは、

先生がただイエス様からだけ 学んだから

 

イエス様のように行なって生きてきたから

イエス様の精神に似たんだと思います。

 

 

摂理と先生、私たちを批判する人は多いし

自分の悪感情を発散したいがためにアレコレ書く人も実に多い・・

けれど

 

先生は、反対する人たちと裏切った人たちについてアレコレ言いません。

恨み言も言いません。

 

 

だから、キリストの心を持っているんじゃないですか?

 

 

私も、先生から教わった御言葉を伝え、人に教えることがあるんですよね。

どんなに誠心誠意を尽くして教えても

分からない人は分からないし、

受け入れない人は受け入れないし、

 

自分が好きなようにしたい人は、そうやって生きていくのです。

 

 

摂理に来たら洗脳されて、出ていけないんじゃ・・・なんて思いますか?

 

全くそんなことないですよ!

正直言って

摂理に長くいることより、摂理をさっさと脱会する方がめっちゃくちゃ簡単ですからねッ。(´∀`*)ハハ

 

 

話が逸れましたφ(.. )

 

そんなこんなで(?)

一生懸命教えても、人が価値観を変えることなんて簡単じゃないし

神様を愛して生きよう!なんて考えるようになる人はけっこう少ないわけで、、、

 

もう御言葉を教えたくないなぁ・・・なんて

もうその人のために祈ったってしょうがないんじゃ・・・みたいな心境になることもあるんです。(-∀-`)ホホホ

 

でも、、

 

もう一度伝えてみよう 

 

もう少し祈ってあげよう 

 

そう 心が立ち上がるのは

 

イエス様と先生の人生を思うから。

 

 

だからそんな時、

 

私も 少しはキリストの心をもらえたんじゃないかなって

 

考えりもするんです。(。-ω-)

 

 

「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。
しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。
 
コリント人への第一の手紙 2:16

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA