ハレルヤ! あおです。 (´◡`) *。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
マタイによる福音書 11:28-30
生活をする中で
仕事をする中で
人付き合いの中で
“大変なこと”もあれば、
“つらい時”もあるし
「しんどいなぁ (´・д・)=з」
という時も
たまにはあります。
〈ただ天ばかり見上げていた時〉も
あったのだ
と、
先生も
話されていました。
ただ
天を仰ぎ見る
しかない
そういう瞬間
そういう期間が
神様を信じる人にも
《絶対にある》ということです。
そういう時
聖書には
【キリストのところに来なさい】
と書いてあります。
『わたしのくびきは負いやすく
わたしの荷は軽いから』
と、書いてあります。
が! (`・д・) シカシ
考えてみると…
キリストの背負ったものは
すなわち十字架なわけですが
これは絶対に
“負いやすくない”
し、
“軽くない”
です…! Σ(・ω・ノ)ノ!アラマ
むしろ
背負うには勇気もいるし、
そして 【結構】重いです……|ω・)
でも、
そのような十字架まで背負われた
キリストの
“心の近く”
に行ってみると
確かに私たちに
《魂のやすみ、平安》
がやってきます。
キリストがどのように人々に接し
どのような生活をして
どのように、私たちの至らないところを
覆って背負ったのか
その愛のふところに
行ってみると
なぜだか心が癒されて
柔和でやさしい心に
なれる気がしてきます。
私も何か
足りなかったかもしれない
と
省みれるようになり
私もそのように助けられて
今があるのだと
気づいたりします。
メシヤがなさったこと、
背負われた十字架は
私たちの心に
確かに
“やすみ”を与えてくれる
癒しの力を持っています。