愛するということは。

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ハレルヤ! あお です |д・)。:*+ソ~ッ
 
今日は、“愛する” ということについて
書いていきます◎
 
私が御言葉を聞き始めて間もない頃、
こんなことを言われました。
 
「御言葉を学んだら、愛についても知ることができるよ。」
 
(*゚ロ゚)!!! 
 
…!!!
 
私はもともと「愛とはこういうものじゃないか」という、言葉では表現できない “愛” の感覚があったんですね。
 
ただその、自分の中で “愛” だ、と思っているモノ
を自分の周りの人間関係の中に、ずっと見出すことができずにいたのです。
 
 
(アレ…?アレアレアレ~??? アイハイズコ…??)
((・_・ ) ( ・_・) キョロキョロ) 
 
 
なので、自分が “愛”だ、と思っている ソレ が 
果たして “愛” なのかどうか、
「神様と答え合わせをしてみたい」と思ったのであります。 
 
果たして、、、
ソレ(私にとっての愛というもの) は
“神様の愛” だった。
ということを知るに至ったのです。
 
そして、
とっても 嬉しかったのです!!
 
。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。 ゜ワ–イ♡  
 

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。
コリント人への第一の手紙 13:4-8

 
有名な、愛に関する聖句です。
ただし、この表現は 
逆説的にイコールにならないのです。
 
どういうことかというと、
 
寛容だからといって愛してるとは限らないし、
ゆるすからといって愛してるとは限らないし、
信じているからといって愛してるとは限らないし、
忍耐するからといって愛してるとは限らないのです。
 
(もちろん愛であることもあるでしょう。)  
 
そうではなくて、
愛する時、
寛容になってゆるすことができ、
愛する時、
信じられない状況でも信じることができ、
愛する時、
堪え忍ぶことができる
のではないですか?
 
つまり、、、
  
“愛する”ということ
 

 
“愛する”ということ
 
なのです。 
 
(ε=ε=ヽ(♯`Д´)ノ 怒 ε=ε=ε=ヽ(・∀・)ノ゚逃)
 
(※ふざけているのではありませんヨ) 
 
 
“愛する” ということについて、多様な表現がされる一方で、かたや、言葉では表現できないものでもある、ということです。
  
“愛する”ということも、
学んでみなければならないし、
経験してみなければならないのですね。
 
【愛してみなければ】わからないものなのです。
 
 
 

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠な命を得るためである。
ヨハネによる福音書 3:16

  
愛について無知な私たちに、神様が送ってくださった人がキリストです。 
 
キリストの誕生は、人類にとっては愛のスタートであり、愛の誕生でもあったのです。
  
 
“愛する” ということを教えるために、
その人は現れたのです。 
   
(*´∀`*)ノ。+゜*。
 
 
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