ハレルヤ! あお でふ (*・з・)~♪ フッフッフ-
ふと、
昨日の記事を振り返ってみたのですが
支えとなっている柱のような人たちは、
嫌になったからといって
その場所を離れるわけにもいかず、
(そうしたら、
家が崩壊してしまうノデ…( ;´Д`))
その位置を守り続けているとして、
その功労の労いを
『誰からどのように受けるのだろう?』
と、あおは考えたのです。(-∀-`)アオサン ハネ
主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
マタイによる福音書 24:46
‘僕’の場合、
その”お勤め(オツトメ)”は
“主人”が、
労ってくれ(ないことも多々あ)る
でしょう。ヽ(・∀・*)
では、
‘奥さん’の場合は?と言うと、
きっと、
“旦那さん” でしょう…ネ( ・∀・)σ*
‘部下’であれば、“上司”
‘子供’であれば、“親”
のような、関係でしょうか。
そしてまたふと、
(フト ガ オオイ ((´∀`*))笑)
こんなことを思い出しました。
私が学生の時、
ものすごく努力して
(というよりは好きでやっていたことなのですが)
ちょっと珍しいものを
天からもらったことがありました。
(-ω-。)ウム
しかしそれは珍しい分、
とても繊細で
取り扱いが難しい代物であったため、
周りの人には、
話して回ることができないもの
だったのです。
そして当時の私にとって、
その【価値と貴重さ】を
一人の心で請け負うには
少々の深刻さがあり、
誰かと分かち合えない心労は
多少なりともあったわけです。|ω・`)
さて、そんな折。
先生がひとこと
『お疲れさま。』
と、私に送ってくださった手紙の冒頭で
おっしゃいました。 (´◡`) *。
「(゚ロ゚;)エェッ? 単なる挨拶じゃないの?!」
と、
思われるかもしれません。(-∀-`)フ
しかし、
この時の私にとっては
“最も心にマッチする ひとこと”
であり、
“最も欲しかった ひとこと”
だったのです。
「あぁだったね、こうだったね」
という言葉でもなく、
「頑張ったね」
という言葉でもなく、
ただ、
『お疲れさま。』
という ひとことが
ぴったりとフィットして
嬉しかったのです。 (´◡`) 。+゚
そしてこれは、
ただの“挨拶”として、
何も知らない人から もし言われたとたら、
【効力を発揮しなかった】
言葉でもありました。
《わかってくださっている》
ということを “わかる”から、
心に響いてくる
《労いのことば》
だったのです˚✧₊⁎