それは“恋”と言わない

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ハレルヤ! あお です *:.
 
こんな story があります。 
 
  
°+..。*゚+
若いシスターがいました。
 
そして、ある青年が ふと見ると
開かれた教会の扉のすき間から、
シスターが見えました。
 
その時その青年には、言いようの無い想いが込み上げたようです。
 
シスターにとても惹かれたようでした。
 
 
そして、場面が変わると、
シスターが病院のベットの上に横たわっていて
青年がシスターの手を握って号泣していました。
 
シスターは病気だったのか、若くして死んでしまったようです。 
 
泣き崩れている青年を見ると、シスターを本当に愛している感覚が私の心にも伝わってきました。
 
 
そして場面が変わって、青年が教会で牧師になり、説教をしていました。
 
 
その青年は、生涯をただ神様だけに捧げて生きることにしたようです。 
 
°+..。*゚+ 
 
 
これは、
私が祈っている時に見えた映像です。
 
 
( ハ?!!(゚Д゚ノ)ノ)
 
 
(まぁ、生きていれば
そういうこともあるんですヨ (。-ω-)ノ(゚ロ゚ノ;)ノ エ)
 
 
さて、 
これは何なのかなぁと、考えていて浮かんできた言葉は、 
 
『神様から始まった愛は、神様に帰結する』 
 
ということでした。
 
どういうことか、お話ししますね。 
 
青年はシスターを見た瞬間 何に惹きつけられたのかというと、それは
“ただ女性として”の 彼女
ではなく、紛れもなく
彼女の中に生きていた “神様の愛” 
に惹かれた、ということです。
  
{魅せられてしまった}とでも言うのでしょうか。
 
だから、始まりは、
“生きて動く神様の愛” だったのですね。
 
だから、彼女が亡くなった後、
青年は、神様に帰って行った(牧師になった)
ということのようです。
 
 
 

わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
ヨハネによる福音書 14:6

 
さて、
イエス・キリストが生きていた時代、男の弟子たちも、マグダラのマリヤのような女性たちも、イエス様を愛していましたね。
 
第一弟子と言わているペテロは、イエス様を愛していると3回も告白しています。笑
(ヨハネによる福音書の21章に書いてあります。) 
 
 
「fall in love」って言いますよね。
(日常では使わないですヨ。(*゚ロ゚)ノ もちろん。
私も日本語しゃべってるんでネ。)
 
ペテロのような男の弟子たちも、マリヤのような女性たちも、イエス様に fall in love した人たちだったわけです。
 
 
でも、それはいわゆる“恋” ではなかったのです。
 
 
マリヤとイエス様を恋仲として伝えている作品もあるようですが、違います。(ハッキリ キッパリ)
 
 
 
キリストの中に生きていた、
【神様の愛に】
fall in love しちゃった
ってことです。
(* ´艸`)♡。+゜*。
 
 
だから、それは結局 神様に向かう信仰となり、愛となり、彼らは神様のもとに帰って行った(帰結した)ということです.。:*+゜゜
 
 
はい、今日はちょこっと(チョコは昨日まで)
霊的なお話しでした☆
 
 
+。:.゚ハレヽ(・∀・)ノ゚ルヤ .:。+゚

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