ハレルヤ!あおです。( ˘ ³˘)♡
今日の記事は
《信仰を持っているひと向け》
に書いてみます☆
感謝の思想を持っていなければなりません。
感謝をする精神、思想を持たなければなりません。
だいたい聖書、旧約から新約まで、今のこの時代まで見てみると、感謝しなかった人たちが神様に
ついていく途中でやめました。感謝して喜んで楽しんで、「神様とでなければ、生きられません。」と。
そうしたら続けていくようになるんですが、「あなたとじゃなくても生きられる」と
言ったら他の人と暮らすようになります。
鄭明析氏の説教より
信仰というのは、
【自分が未来に望んでいること】が絶対に成就する!と確信した上で、
まだ見ていない、これから起こる【その信じている事実(が実際に起こること)】を確認すること
である、とへブル人の手紙11章1節に書いてあります。
つまり実際に成されないなら、むなしい信仰で、
持っていても持たなくても、なんら変わりがない信仰であり
“実際にそうならないことを信じる”なら、
それは、聖書で言っている<信仰>とは別物ということですね。
実は
聖書に書かれている<信仰>って
とても実質的なことで、
私のようなリアリストでも
すんなり納得するものだったのです。
信仰は空想でもなければ
現実逃避でもなくて、
むしろ「実態」と「実際」に
基づくことでした。
だから、私は信仰を持つようになりました。
さて、今日のテーマは
そんな<信仰>の基本中の基本
きほんの「き」!(ノ・⊿・)ノ
《感謝》
について、書いていきます。( ..)φ
人間は、
果てから果てまでが150億光年もあると言われている
あの宇宙に、
生まれてからら死ぬ時まで、1度も行ってみることができなかったとしても
全てその恩恵を受けて生きているそうです。
星の世界に行ってみなくても、
月の世界に行ってみなくても、
宇宙に行ってみなくても、
目で見て、心で感じて、喜び、
その恩恵を全て受けている、と先生は話されました。
また他にも、
人間が海の水を全部飲まなくても、
海の魚を全部捕まえて食べることができなくても、
海の水と海の魚たちによって人間が影響を受け、
恩恵を被って生きている、とも教えてくださいました。
自然万物の世界、すべ~て
くまなく見て回ることはできない人間ですが
そのすべての生態系、自然の摂理の中で
人間が都度、必要な恩恵をすべて受けているから
その自然万物の創造者、神様に感謝することは
生活の基本であり、信仰の基本でもあるということです。
先生は、
『感謝の目が開かれたら、一日のうちにも数百、数千のことに対して
感謝するという言葉が出てくる』と
教えてくださいました。
一日のうちにそんなにも感謝していたら、
不平不満を持つ時間が
(頑張っても)取れなさそうです。
(* ´艸`)
人間に対しても
まず、その人の存在を認め、信頼し
何かをしてくれたなら “ありがとう” を伝えてこそ
一緒に暮らすように、
目に見えない神様に対しても
存在を認め、信じ
してくださったことに “感謝” を伝えてこそ
一緒に暮らします。
人間関係を見ても
<感謝>が、人間としての基本、人格の基本ととらえられるのに
もっと次元の高い神様との関係において
<感謝>が抜けることはあり得ません。
不平不満をいつもぶつけてくる人に
親しくし続ける人はいません。
離れます。
嫌います。
声を聞きたくない、その表情を見たくない、
存在を忘れたいと思うようになります。
神様に不平不満をぶつけているうちに
「あなたの祈りは聞きたくない」
「そんな怖い顔ばかりするな」
「あっちに行け」
と、思われたら大変です。(゚ロ゚;)アワワ
神様は、感謝する人にもっと与え、
もっと蒔くようにしてくださり、
もっと刈り取るようにしてくださるそうです。
もらってばかりで感謝しない人は
けちな人で、
その生が結局
けちで貧乏になります。
だから
《毎日、感謝の生活を休まない》
そういう人で あり続けたい。
゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚