ハレルヤ!あおです。(´∀`*)
主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。
神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。
出エジプト記 3:4〜5
モーセが神様に召されて、使命を受ける場面です。
“くつを脱ぎなさい”というのは
『自分の考えを下ろしなさい』という意味だと
教えてもらいました。
人が神様の御言葉に出会ったとき、
必ず必要なのが
この
“自分式の思考を置く”
ということです。
イザヤ書55章にもあるように、
神様の考えは人間の考えと全く次元が異なるので
自分の考えを握りしめていると
神様の考えがスッ ヽ(*´∀`)ノ
と入ってこないし、
理解もできないのです。|ω・`)
逆に、躊躇なく自分の考えを捨て
神様の御言葉に柔順できる人 というのが
神様の歴史で、
神様に大きく用いられる人物になりました。
ペテロもその一人です。
その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
ルカによる福音書 5:3〜5
漁師だったペテロ(もとの名はシモン)は
夜通し漁をしても一匹も魚が釣れず、
肉体も精神も疲れ切っていた日に
出会ったばかりのよく知らないイエス様に
舟を貸してあげた人です。
そしてイエス様の話を一通り聞いてみてから
「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」
という言葉に柔順して行なってみたところ
大漁に魚を釣ることになったわけです。
漁師としてやってきた自分が
徹夜で漁をしても無駄だったところに
漁とは無縁に思える、出会ったばかりのイエス様に
「先生のお言葉ですから」
と言って従うことができたのは
ペテロの人格が成したわざ
なのです。
もちろん、イエス様が現れて
第一声が「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」だったなら、
ペテロが柔順したかは分かりません。
イエス様が人々に伝えている御言葉をひとまず一緒に聞いてみて、
“これは普通の言葉ではない”
と感じられたからこそ、柔順できたのでしょう。
しかし、いずれにせよ
神様の言葉に感動を受けられる人格があり
神様の前に自分を下ろし、謙虚になれる人だった
ということに変わりはありません。ヽ(・∀・*)
神様の御言葉は
正しいか、正しくないか
を、既成事実をもって確認できないことも多いです。
既成事実は信じるも何も無いですから。(-∀-`)ネ
ただ、
“神様の御言葉ならば”という信仰をもって
御言葉通りにしてみた時、
そのようにしてみた人だけが
それが
確かにそうである
ということを知るようになります。
信じない人は
ずっと
“知らない人”としてあり続け
信じる人は
いずれ
“知る人”となって
生きていくようになるのです。
摂理では、年間何百人という人が
新しく御言葉を学び始めます。
しかし、
自分のくつを脱ぐ人もいれば
自分のくつを履いたまま去っていく人もいます。
なぜか?
人格の上に信仰が入るからです。
私は誘導したくありません。無理にさせたくはありません。
神様は、「モーセは無理にでもさせて御心を成した」と言いますが、時代がいつでしょうか。
発達した時代なのに、そこまで無理矢理にさせていいでしょうか。
他の人でもなく、神様の愛する対象だというのに。
鄭明析氏の説教より
摂理では、
「信じなければ地獄に行く。だから信じろ」というような脅しや脅迫で
人を導こうとはしません。
怖がらせて無理やり信じさせることはしないし、
そもそも <自由意志> がなぜあるのか、
ということから
教えてくれる世界です。
「神様の言うとおりにすることは自由意志が無いこと」だと思っている人がいます。
しかし、
「神様の言うとおりにすること」を選択するのは
他の誰でもなく、“自分の”意志です。
みんな、“自分の推し”が言うことは
「いいね!」とか「信じる!」とか
「私もそうする!」とか
言うわけですよね。(。-ω-)ノ
神様に対して
そういう人(神様が私の“推し”よ!と言う人)
がいても
おかしくないでしょう。
多様性の時代と言うけれども
多様性の根源は神様なので、
本質的に多様性が認められる世界は
神様の世界です。
多様性の行き着く先は
分離ではなく、調和
そして、平和です。
自分の考えを下ろして
目の前の相手を受け入れること。
社会の傾向もそのように流れていますが
〈神様の前で、自分を下ろせる人〉
そういう人が 多くなればいいな
と思う、今日このごろ
なのであります。
(*・∀・)ノ。:.゚アンニョン*