ハレルヤ! あお です ヽ(*´∀`)ノ゚♪
今日は、
“認めること” がどれほど影響力があり、
反対に
“認めないこと” もまた、
どれほど影響力があるものなのか?
について、
考えてみたいと思います。(´∀`*)ホホ
人には少なからず、
『承認欲求』というものがありますね。
これは、
精神年齢が幼いほど、
強い傾向があるのではないでしょうか。
それは、
“他人から認めてもらうこと”
を通じて、
【自己】の形成をしていく過程が
必要だからかもしれません。
【自己】がある程度確立されてくると、
今度は、
“自分で自分を”
認められるようになってきます。
しかし、
【自己】の形成の過程(つまり人間の成長期)において、
“自分を認めてもらうこと”が不十分、
あるいは
そう感じられない状況に置かれると、
人は、
“自分が認められないこと” に関して、
とても攻撃的になってしまうか、
ものすごく臆病になってしまう、
ということが起こり得ます。
つまり、
感情的になりやすくなる
とか
殻に閉じこもる
ということが起こるのです…(´・ω・`)ウム
イエスにさわっていただくために、
人々が幼な子らをみもとに連れてきた。
ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。
それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、
「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。
マルコによる福音書 10:13-14
先生は、
無分別な人やマナーがなっていない人がいたとしても、
とても人格的に話をされる方です。
そして、私たちが何か発言した時には
「わかった。」
と答えてくださることが多いです。
私は改めて、この
「わかった。」
という言葉が、
人をとても安心させる言葉なのだ (´◡`)
ということを感じたのです˚✧₊⁎
無分別な子供や、
勘違いをして怒っている人、
誤解をして気分を害してしまった人、
すれ違いが起きてしまった愛する相手
に何か言われたら、
「わかった。」
「わかりました。」
と言ってみてください( ・ㅂ・)و̑
もう一度、
対話の扉が
開かれるかもしれません.。:*+゜