答えの在りか

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ハレルヤ! あお です(*・∀・)ノ*

 

 

自己紹介をする機会が

ちょっとばかし増える

そんな時期ですね。+゜

 

 

“他己紹介”というのも、たまにやってみると

 

「ナヌ!(゚Д゚ノ)ノ 」

 

「でも確かに~(-∀-`)そうかぁ~なるほど~」

 

という

自分についての新鮮な気づきを

もらったりします˚✧₊

 

 

“自分のこと” というのは

案外わかっていなかったりするものです。

 

 

私も、

「あおさんは、分析をよくするね(・∀・)」

と言われるまで、

自分が 【よく分析している】 とは

思っていませんでした。(-∀-`)アハ

 

 

あとは、

「今まで会ったこと無いタイプ」

だとか、

「変わってる」

とか10代の時から散々言われても、

数年前までは、

 

“私はすこぶる平凡な人、普通の人”

 

だと思っていました。(-ω-。)ホホホ

 

 

(数年前からは、

自分は ちょっと“変わっている” のだろう。

とやっと認め始めました (*´∀`)笑!)

 

 

このように、

“自分のこと” というのは

けっこう勘違いしてたりするのですね。

 

 

それは、

 

「きっとこうだろう」とか

「こうであって欲しい」とか

「こうあるべきだ」とか

「こんな自分ではいけない、嫌だ」

 

とかいう気持ちが、

 

【本当の自分】

 

を、ぼやかしているからかも

しれません。

 

まるで蜃気楼のように…

 

 

あなたの宝のある所には、心もあるからである。

マタイによる福音書 6:21

 

 

自分の宝があるところに

心があるということは、

 

自分の心があるところに

自分の宝がある、

ということでもあります。

 

 

しかし、

“自分の心” が

もしよくわからなかったら?

 

 

それは、

 

《自分の宝の在りか》も

本当のところよくわかっていない

 

ということかもしれません。(-∀-`)マズイ

 

 

人は、

失ってから大切なものに気づく

と言ったりしますが、

 

それは、

 

“自分の心がどこにあるのか”

 

ということを

わかっていなかったのです。

 

 

《宝》は

 

“願い”であり、

“自分が必要とするもの”であり、

“求めていたもの”であり、

“欲しかったもの”であり、

 

そして、

 

“御心” かも

 

しれません (´∀`*)

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