ハレルヤ! あお です ヽ(*´∀`)ノ゚.。:*+゜゜
今日は
『変わること』
について、信仰と絡めて
書いてみます…φ(.. )
よくある信仰(宗教)に対するイメージの中に、
「自分が自分で無くなってしまうのではないか?」
という、“怖さ” があります。
しかし、考えてみてください。
“自分が自分である”
ということを根本的に覆してしまうほどのものって
一体どんなものなのでしょうか?
本当にそんなものってあるのでしょうか?
“私” という存在は、
そもそも “どれ” を指すのでしょう。
よくある{中身が入れ替わってしまう}ドラマ…
“本当の私”は、
“中身”
なのでしょうか?
それでは、
人の精神(中身)を考えてみましょう。
人の精神は、成長し続けます。
発展もし、熟していくものです。
(衰えるとか、
稚拙なままの人もいますが…(-ω-。))
そのように(良くも悪くも)変化していった場合、
“本当の私” では無い “別の誰か” に
なってしまうのでしょうか??
なりません。(-∀-`)ネ
精神(中身)が変わることは
その人が
“別の誰か”
になることではありません。
むしろ、顔の整形をした方が
“別の誰か”に見えます。
(見た目だけ(。-ω-))
その人はその人なのです。
顔を変えても{その人}で
肉体改造しても{その人}で
精神改造をしても{その人}です。
別の誰かになることがあるとすれば、
それは
乗っ取りでしょうね。
別の誰かが憑依したら、
{別の誰か}に
なってしまいますからね…(・∀・)オオコワイ
しかし、
人の精神は、
LINEのアカウントのようには
簡単に乗っ取れませんので
ご安心ください。
むしろ、
【自分を変える】
ということは、案外難しいことです。
ヘアスタイルやヘアカラーのように
数時間で変えられるものでもなく、
“変わらない自分”に
むしろ嫌気が差す人だっているくらいです。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
コリント人への第二の手紙 4:16
“新しくなること” は、
《危険》ではありません。
《希望》です。
だからこそ、
変われる環境
変化させてくれる言葉
考えを新しくさせてくれる知恵
というのは《貴重》なのです。
貴重なものを危険と思わせて
奪おうとしている輩には
気をつけないといけません…ヽ(-ω-。)