もらったもの˚✧₊

Pocket

ハレルヤ! あお です (*・∀・)ノ

 

 

今日のテーマは

 

『もらったもの』

 

です。

 

 

いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。

あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。

もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。

コリント人への第一の手紙 4:7

 

 

深い内容ですねぇ。(-∀-`).。:*

 

実際によくよ~く考えてみると、

私たちにとって、

 

“もらっていないもの” は

 

“何一つ存在しない”

 

ということに、

気づかされるのです。

 

 

先生は、

 

神様からもらったものがあると、

何度も、何度も、繰り返し

 

【感謝する】そうです。ヽ(´∀`*)♪

 

 

一度だけ感謝することは

“普通” ですが、

〈何百回〉も感謝するのは

なかなか無いことです。

 

 

それほどにも

“価値を知らなければ”

できないこと、ではないでしょうか?

 

 

そして、感謝を口にする度に

経緯が蘇り、

嬉しくもなり、幸せも湧いてきます。

 

 

このようにすることは、

 

くださった〈神様〉に、

本当に貴重な存在として接していることであり、

愛の表現でも あります。

 

 

人は、

 

神様から{すべてのものをもらっている}

 

にも関わらず、

 

一生の間に

 

“一度も”

 

神様に感謝することなく、

死ぬ人も多いのだそうです。

 

 

これは、

どう考えてみても…

 

 

「礼儀がなっていないぞ!

けしからん! ヽ(♯`Д´)ノ 怒」

 

 

というレベルです。ヽ(・∀・*)ネ

 

 

茶道や生け花といった、

 

その道の〈作法〉を教えてくださる人を

 

『先生』

 

と呼ぶように、

 

鄭明析牧師は、

 

神様に続く道の〈礼儀作法〉を

教えてくださる

 

『先生』

 

なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA