好みどおりに生きる

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ハレルヤ! あお です 。+゜
 
大学受験 真っ最中のみなさん (๑˃̵ᴗ˂̵)و*。
お疲れさまです。
 
どうかキットカットを食べすぎないで…。
 
とか考えてる あお丸ですが、
私が『いわゆるお勉強』が1番良くできたのは、大学受験真っ最中の時期じゃないかなぁと思います。
 
国立大を目指して、場慣れのために私大は5つくらい( J智とかWS田とか)を受けたのですが、負けなしだったんですね。
 
 
すると職員室に呼び出されました。 (゚ロ゚;)ォォォ
 
 
(なんで一つも落ちてないんだツ!!
ヽ(♯`Д´)ノ キッ
とかって叱られたわけじゃないですヨ)
 
なにかというと、
「前期にT大を受けて、後期に志望校を受けないか?」というオハナシだったんですね。
  
・・・* (。-ω-)
 
 
はい、断りました。
 
なんでかというと、
①受かっても行きたくなかったから。
( エ…受かる気あったんですか?強気ですね。)
 
②国立落ちたらフリーター(私大は入学金入れてない)の身だったので、高校の実績作るために(と私には思われた)、フリーターとなる確度を上げたくなかったから。
 
です。(-∀-`)
 
なので断りました。
( ・∀・) 彡 =͟͟͞͞(✹ポイッとな。
 
 
こんな出来事を思い出したのは、
“人は好みどおりに生きていく”という
御言葉を聞いた時です。
 
本当にそうだなって思いました。
 
ところで、この【好み】というのは、{自分が知っている範疇}の中で左右されるわけです。
 
上のエピソードで言うと、もしも高校生の私に
『 T大に行ったら、どんな面白い授業が受けられるか』とか
『将来的にどんなメリットがあるのか』とか
『どんな大学生活が送れるのか』とかを
詳しく教えてくれる人がいたら、私も好んで受験してみたかもしれないですよね。
 
(学科で志望校を選んでいた私にとっては、T大の◯類って、どんなたぐいヤネンくらいにしか思えなかった…(-∀-`)ホッホッホ)
 
 
さて、
人が向上心を持っているのは、神様が人間に
“成長する喜び”をくださったからです。
 
だから、人は成長することが嬉しいし、続けてより良いところ(生活の質だったり、環境だったり)に行こうとするのです。
 
ところが、です。
 
自分が全く知らない世界の場合、それがどんなに良いところであったとしても、好んで行かないのです。
 
ということは、
より次元 (水準) の高い考え方や世界について、くわ~~しく! 教えてくれる人がいるのなら、
その人に出会えることが、
人として幸いなことですね
 (人´∀`*).。:*+゜アラウレシィ
 
 

肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
ローマ人への手紙 8:6

 
 
自分が知らない、(天国のような)素晴らしい世界について教えてくれて、
その道を示してくれる人に出会えるとしたら、
  
 
そしてその人が、
“自分の可能性” という世界まで、
広げて見せてくれのだとしたら、、、
 
そんな人になら、出会ってみたくないですか?
 
 
( ˘ ³˘)•*♪♡ もうすぐ春ですね。

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