ハレルヤ! あお です ヽ(*´∀`)ノ
今日は、
“人を相手にする仕事”を
6年続けてきたことから得た教訓について
書いていきます…( ..)φイソイソ
“人”はモノと違って
【感情】や、【波長】や、【個性の性格】
といった固有の特徴を持ち、
状況や環境などによって心も随時変化し
一定ではありません。
自分の好きな通り
都合の良い通りにだけ接すれば楽そうでも
相手について少しでも考えて接するなら
ありとあらゆることも思い浮かび
頭も使い、精神も使い、
時間も能力も
使わないといけません。ヽ(-ω-。)
『自分を愛するように
あなたの隣り人を愛せよ』
マタイによる福音書 22:39
とても良く知られている聖句です。ヽ(・∀・*)
日本でも
この聖句なら、
どこかで目にしたことのある人が
きっと多いでしょう。
“自分を愛するように”
誰かを大切にし、
尊び、愛する。
そして世界は
愛と平和のセカイに~(人´∀`):*+゜
なると信じて
そのまま実践したら、
{とても良さそう(´∀`*) 。+。+゜}
に思えます。
が、しかし…!! (乂∀・)stop☆
“自分を愛するように”
誰かを愛するのです。( ・∀・)σ
それでは
《自分は》一体どのくらい
「“自分を”愛しているのか?」
と、問いかけてみてください。(-∀-`)アイ
その【程度】によって、
“誰かを”愛したら
{とても良さそう(´∀`*) 。+。+゜}なのか
どうか?
.。:*+゜゜+*:.。.*:
神様は、
【順理に合う】方法を
人間に示されます。
– 自分を愛するように
誰かを愛することが
{よいこと}-
その法則の前提には
“自分を(十分に)愛すること”
があるはずなのです。
この大前提無くしては、
神様のこのコトバが
“本来の意図通りに”
チカラを発揮することは
できません。
そうなると、
《自分をちゃんと愛すること》が
誰かを愛することの{出発点}に
思えてきます。
ネ(。-ω-)ノ*。
『自分をだめにしないこと。』
それは、
まさに“自分自身”が
誰かを潤おす
“愛の源泉”になるためヽ(・∀・)ノ゚
社会人あおの〈教訓〉でござぃ +。:.゚