ハレルヤ! あお です ヽ(・∀・)ノ゚
今日は久しぶりに
《愛》についての記事です。(*・∀・)ノ。:.゚
神様は、
〔悪〕を放っておかず、
〔悪〕をそのままには しておきません。
それは、
いつも〔善〕が〔悪〕に苦しめられ、
〔悪〕を放っておくと、
〔善〕が勝てないからです。
〔善〕は〔悪〕に
{悪を持って}は、対抗しません。
そのため、
〔善〕がただ{善でのみ}存在したならば
〔悪〕に
勝てないのです。(´・ω・`)
自分の愛する人が、
もしも誰かに傷付けられたり
無念な思いをさせられたり
悔しい思いをさせられたなら、
腹が立ちますよね? (ノ`Д´)ノ ゴオォォ…
神様も、
神様が愛する人たちが
〔悪〕に苦しめられたら、
【ただじゃおかない】
のです。
(*・∀・)ノ タダジャオカン
主はねたみ、かつあだを報いる神、主はあだを報いる者、また憤る者、主はおのがあだに報復し、おのが敵に対して憤りをいだく。
ナホム書 1:2
神様は、
愛する人に寄り添い、
また、愛する人の為に
立ち上がってくださるのです。
まるで、“自分のことのように”。
私も、
もし先生を誤解し
間違って考える人がいるなら、
立ち上がって
訂正したいと思います。
立ち上がって
説明するつもりです。
先生は、
そういう人ではない、と。
愛する人のために戦われる“神様”のように
私も、
《愛するなら一緒に戦う》
そのような人で
ありたいのです。
…( ・ㅂ・)و̑ ソシテ グンジン ト イワレル.