感情ではない世界

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ハレルヤ ! あおです。ヽ(・∀・)ノ

 

 

“心情” という言葉があります。

 

心情は、

“感情”や、“情け”、

単なる“心の内”とは

 

違うものです。

 

 

霊界は

『心情の世界』だと、言われます。

 

その意味するところは、

私達が常日頃 使用している{言語}ではなく

《心情》で通じる世界だということです。

 

 

臨死体験をした人のエピソードの中に、

言語が通じないはずの人物との対話が

実録として存在します。

 

 

【言語】が

胸の内の断片を

表すことしかできないように

 

目に見える世界は、

目に見えない世界の断片を

表しているに過ぎない

 

ということになります。

 

 

「目に見えるものしか信じられない。」

ということは

現代的な考え方ではありません。

 

科学は進歩し続け、

肉眼で目視できないモノの存在は

可視化されています。

 

風も、脳内の電気信号も、感情も

肉眼では見えずとも

存在していることが明らかであるように

 

【目に見えなくとも存在する】ものに対する

 

探究と解明の未来は

 

計り知れません。ヽ(・∀・*)

 

 

いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に誰が知っていようか。

それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。

コリント人への第一の手紙 2:11

 

 

断片的なモノの見方をすると、

偏った判断をしがちです。

 

断片は、全体のごく一部で、

全体ではありません。

 

 

いつも

 

{見ているモノが断片である}可能性を

考える人は

 

《見えないモノも見る人》

 

だと、言えるでしょう。(*・ω・)ノ

 

 

“心情の世界を見る人”も

そのような【目】を

持っています。

 

 

それは、

顕微鏡と望遠鏡を装備した【目】です。

 

 

〔history〕と 〔daily〕を考えられる人であり、

 

〔瞬間〕と〔永遠〕を考える人です。

 

 

“心情の世界”

 

〈ことば〉を越えた世界。

 

 

そこは、

 

《全て》

 

とも言える

 

世界

 

なのです。ヽ(・∀・)ノ゚

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