ハレルヤ! あおです。(*・∀・)ノ
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
ローマ人への手紙 8:35
“愛”は、“愛”であって
〈他のもの〉では ありません。
「愛は なんなのか?」
と、言ったとしても
「愛は◯◯である。」というのは
{愛の要素}を説明することはしても、
《愛そのもの》は
やはり
“愛”以外のものでは
ありません。(´∀`*)
『愛ってナニか?』
知っている人は
知っているし、
知らない人は
知りません。
愛は
〈末梢神経の刺激〉でもなければ
〈一抹の興奮や感覚〉でも
ありません。ヽ(-ω-。)
このことを知らないと
【愛を間違えて】
生きていくことになります。
愛は五感でも感じられるし
第六感でも感じられるものです。
また、
《考え》で感じられることもあります。
『愛ってナニか?』
永遠のテーマだと表現しても、
人は【間違えて】
瞬間のナニカを、
愛と呼んだり
するのです。|ω・`)ネ
愛は【継続すること】です。
そうでなければ、
《永遠》に
“なり得”ません。
愛は、
“続けること”
です。
「病める時も〜
健やかなる時も〜」
と言いますが (・∀・)笑
“愛し続けること”を前提に
「愛します。」と言うのでなければ
愛は、存在し得ないでしょう。
覚悟も、
忍耐も、
継続力も、
【愛には】求められても、
{それ以外のこと}に
求められることは
あまり、ありません。
〈責任ある仕事〉でさえ、
“永遠を約束”させられることは
ないでしょう。( ・∀・)σ*
『愛ってナニか?』
“永遠”の秘密…?
“永遠”の秘訣…?
“永遠”を構成している
主成分…(-∀-`)笑
あるいは
“永遠そのもの”を生んでいる ソレ
かも
しれません。(*´∀`)ノ。+゜*。