赦しと罰

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ハレルヤ~! あお です~ (*・∀・)ノ。:.゚
 
 
花粉が軽々と飛んでいる季節ですが、
今日のタイトルはちょっと重いですね…
 
 
では、行ってみましょう!
 
 
ブーンε=ε=(o ・ω・)o
 
  

そこでピラトは言った、
「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」。
イエスは答えられた、「あなたは、上から賜るのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。
ヨハネによる福音書 19:10-11

 
 
これは、イエス様が裁判にかけられているシーンの会話です。
 
ピラトは実際、
“イエス様が受ける刑罰を決定する人 ”
であったことは、間違いありません。
 
しかし、イエス様は
 
「“その権威(決定権)” はあなたに無い」
 
と言いました。
 
 
それは、
法には
【人法】(人が定めた法)
  と、
【天法】(天が定めた法)
があるからですネ☝︎
 
 
日本も、裁判員制度が始まって、
今年で10年目に入ろうとしています。
 
 
人は、
秩序を守るために “法”を定め、
その“法”に従って裁判もし、
人に“刑罰”を与えることもしています。
 
 
それと同様に、
 
“神様も”、
  
秩序を守るために “法”を定め、
その“法”に従って裁判もし、
人に“刑罰”を与えることもしています。
 
 
神様の法は、【御言葉】 です。
 
 
人が、
仮にその法を「知らなかった」としても、
法に引っかかった時には
否応なく judgeを受けるようになるのは、
【人法】でも、【天法】でも同様です。
 
ただ、
 
【天法】の judge は、神様がする
 
ということです。
 
 
『ゆるされる』のか、『ゆるされない』のか
『正しい』のか、『正しくない』のか
 
天の judge は、
永久に【神様のもの】なのです。
 
 
 
キョウハ カオモジガ スクナメデ(*・∀・)ノ。:.゚オワリ

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