ハレルヤ!あおです。(*´∀`)ノ。+゜*。
2020年の最後の日になりました。
今年は色々なことが突然終わりを告げ、強制的に新しく転換したことも多かった、
そんな一年でした。
今年最後に、
『最高のリーダー』
というトピックで
締めくくりの記事を書きたいと思います。
“リーダー”、”指導者”、”○○長”と呼ばれる立ち位置、ポジションは
どこの組織にも存在します。
大きな組織になるほど、大小のリーダーが必要になり、
たとえ小さなグループでも、必ず一人は必要なポジションです。
それは実に今から3000年以上も前の、聖書で言うと旧約時代からある姿なので
自然の摂理とも言える気がします。
すなわち、モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、
民の上に長として立て、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした。
出エジプト記 18:25
最近は【サーバントリーダーシップ】が
リーダーシップのトレンド(?)だと聞きますが、
どんな時代にも
人々から慕われるリーダーの本質は
変わらないんじゃないかな?と思います。(`・д・)ノ
それはなぜかと言えば、聖書に登場する数々のリーダーは
必ず備えている性質(精神とも言える)が
あるからです。+゚
それは ずばり…|ω・)チラ
【犠牲の精神】
です。
人間というのは持って生まれるものもありますが、つくらなければなりません。
今の時代の人たちは、あまりにも楽なことばかり求めて、(自分を)つくりません。
「苦労しても命の道を行きなさい」とおっしゃった、聖霊の御言葉です。
それで、多くの問題を解決してきました。
犠牲になったら終わる。
いろいろなことを言う必要がない。
犠牲になれば、それで解決できる。
犠牲になったら解決できる、
終わるということはどういうことかというと、
自分が十字架を背負えば解決する
ということです。
‐鄭明析氏の説教より‐
私も摂理に来て11年が経ち、摂理の教会で牧会を任される人たちや
指導者と呼ばれる人たちを見てきたし、
もちろん、社会生活でも色々なリーダー(社長や上司)を見て、
自分自身も6~7年、摂理で小さな指導者として過ごしもしましたが、
最高のリーダーは
(他に比べようもなく、誰も匹敵しないと思える)最高のリーダーは
鄭明析先生です。
でももし、もう一方挙げるなら イエス様でしょうか。(´◡`)*
誰でも内心は、
人から認められること、褒められること、自分の実績や功績や陰ながらの努力など
当然認められるべきことを
認められたいと願うものです。
それが “人間らしさ” でもあるかもしれません。
しかし、世界規模で認められる真のリーダーは
必ず
この、人間ならば誰でも当然持っているような欲求を
越えてしまっているのです。
『犠牲を犠牲とも思わない』リーダー。
その基準は、まるで”人間ではない”ようだ
だから、まるで”神のよう” (神対応とかよく言いますよね)
と形容されるのです。
【人間的ではない】
だから人類のメンター、リーダーにもなれる。
それが偉人と言われるような先駆者たち
時代のヒーロー、リーダーなのだなと
実感した一年でした。
《人が、自然とついていきたくなる人》
それは きっと時代を越えても変わらない
” 犠牲になれる ” リーダー 。
それななぜ?
【犠牲】が
“犠牲こそ”が
真の愛だから。
【愛】にほかならないから。
P.S.
2018年2月に開始したこのブログも、3年が経とうとしている2021年…
今まで毎回、聖句の引用をしてきましたが
来年からは明析先生の箴言や、説教で話された言葉を引用した記事に
アップグレードする予定です!
これからも愛読してくださるとうれしい限りです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。ヽ(´∀`)ノ♪アンニョン