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ハレルヤ!あおです。(*・∀・)ノ。:.゚

 

摂理で御言葉を学び始めると、

新約時代の代表的なイエス様の弟子【ペテロ】と、【銀貨をくわえている魚】の話っていうのを

必ず聞きます。

 

私は、

この聖書のエピソードを聞いてこう思いました。

 

『これが 全ての人が求めている 人生の答えだ』

 

と。(`・д・)

 

 

当時私は20歳になったばかりでしたが、

それまでに2人、身近な人を自殺で亡くしていました。

 

1人は、同じ誕生日に生まれた幼馴染みで、

もう1人は、初めてアルバイトをした時に、自分を教えてくれたパートの先輩です。

 

どちらも、

明るくて優しくて、気丈で、

一見すると(精神的には)強そうなタイプに見えました。

 

でも、

自ら命を絶ってしまいました。

 

人生を生きることは『強さ』だけでは決まらない

人生をやめることは『弱さ』だけでは語れない

 

そう思いました。

 

死ぬことよりも生きることの方が難しい、ということなのかな・・

 

と、10代の私は考えました。

 

 

大学の生物実験で、鶏の首を折って実験をしたことがあったのですが

簡単に死んでしまった命を前に、

 

『人間も

死ぬ方法はいくつもあるのに

 

生きるための方法(必要な条件)は

とても限定的だ』

 

と思いました。

 

 

“生きる” には、

とても制約が多い。

 

 

「どうやって生きればいいのか?」

 

「何のために生きるのか?」

 

「なぜ生まれてきたのか?」

 

 

親が、学校の先生が

教えてくれたことはありますか?

 

 

あったなら

その人は人生を自ら終わらせることは

しないでしょう。

 

 

昨年、三浦春馬さんや竹内結子さんの死を

多くの人が悲しんだと思います。

 

どちらの方も、

その人柄や気遣いや、優しさや温かさを褒められ、

人々は惜しみ、残念に思い、その才能をもう見られないことに悔しさを感じている様子が

ニュースから伝わってきました。

 

しかし、彼らが周りの人に与えていた

優しさや心遣い、勇気づけて励まし、気持ちを分かってあげ、寄り添うことを

 

彼ら自身は

他の誰かから

同じように受けられていたのでしょうか?

 

 

人間は限界があることでしょう。

 

 

人間は

 

”人間だけ”では、

 

満たすことも

 

十分に得ることもできないからです。

 

 

人間には、

《人生の道のいき方》

を教える人が

絶対に必要です。

 

神様は

「人々が行くべき道」をご存じだ。

 

問題は

人間たちが神様の御言葉を聞いて生きるかどうかだ。

 

人々は「何でもないこと」に命をかけ、

断ち切れずに人生を腐らせる。

 

地球世界の70億の人々は、跳んだり、走ったり、這ったりしながらさまざまに生きていく。

 

しかし

「人生の道を見つけた人」に

会って生きてはじめて

「永遠な問題」が解決する。

 

鄭 明析氏の箴言より

 

 

ペテロは

イエス様の見た目を見てその人を判断しない人でした。

 

そして、イエス様の噂話を聞いて

判断した人でもありません。

 

ペテロは

 

“自分で見て、聞いて”

 

イエス・キリストの話す、その言葉に感銘を受けて、

 

人生を変えた人でした。

 

 

あなたは

 

“見る目”を 持っていますか?

 

“聞く耳”を 持っていますか?

 

 

先生の話を、自分の耳で聞いてみてください。

 

先生を自分の目で見てみてください。

 

 

私は、

 

自分の目で見て

自分の耳で聞いて

 

摂理を選びました。

 

 

ここに

 

人生を生きる意味を教えてくれる先生が、

 

 

確かに

 

存在していたからです。

 

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