ばかみたいな愛

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ハレルヤ!あおです。(*・∀・)ノ。:.゚

 

鄭明析先生の人柄や愛情深さを

つらつらと連なる文章ではなく、

 

詩のようなもの

 

で、書いてみます( ..)φ

 

 

。* ゚ + 。・゚・。・ 。* ゚ + 。・゚・。・ 。* ゚ + 

 

たとえば

 

自分の子供や教え子が

 

うまく大人になれなくて

問題を起こしたり、

大きな失敗をしでかしたなら

 

それは

 

「わたしがちゃんと教えられなかったからだ」

 

と言って頭を下げる人が

一体どれくらい  いるのでしょう。

 

 

たとえば

 

その人が持ちきれない荷物を

肩代わりして

その人が支払えなかった分は

代わりに払ってあげて

 

それで

 

「わたしではなく、彼が払ったことにしてください」

「値段の分は彼がもらうようにしてください」

 

 

と言う人が

一体どれだけ いるのでしょう。

 

 

寄付をしたって

 

寄付した人の名誉と体面は

残るのに。

 

名無しの寄付にも

 

感謝のニュースが

届くのに。

 

 

それよりも

 

ばかになったみたい

 

ばかみたいな愛

 

 

あまりにも愛するから

 

滑稽にも なるのでしょう。

 

 

バカみたいでしょう。

 

 

嘲笑われても

 

気にしないのなら

 

どれだけ愛したと

 

いうことですか?

 

 

ある人には

 

それは

 

“滑稽”に見えるでしょう。

 

“バカ”みたいでしょう。

 

 

名誉も名声も

感謝も尊敬も

 

全部無視して行くのなら

 

きっと

 

わからない人には わからないでしょう。

 

 

無価値に

思えるのでしょう。

 

 

わかる人にだけ

 

その価値が

 

きっとわかるように

なるのでしょう。

 

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生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。

コリント人への第一の手紙 2:14 

 

 

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