法治国家の限界と公義の神様

法治国家の限界と公義の神様

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ハレルヤ!+。:.゚ヽ(・∀・)ノ゚.:。+゚あおです。

 

今日も久々にブログの筆を執りました。φ(.. )ヒサシブリネ

 

 

さて、

ここは日本。法治国家です。

 

法律は、私たちを縛っているようにも見え

守っているようにも見え、

 

一方では

法律が悪を野放しにし、

守られるべき人たちを守ってくれない

ようにも

 

思えます、よね。(´-∀-)

 

皆さんは法によって守られていますか?

 

縛られているのでしょうか?

 

あるいは

法律なんてクソくらえ(# ゚Д゚)

というほどに、諦めてしまった人も いるでしょうか。

 

 

“法律は完璧ではない”

 

学校では教えられなくても、

どこかで、いつか必ず

無意識下で 実感するしかない。

そういう世の中です。

 

 

法律が、警察が、検事が、弁護士が、裁判官が

悪を正確に取り締まってくれ、

善と正義を完全に守ってくれる保証は

 

どこにも ありません。

 

 

私はよく、こういう祈りをします。

 

『神様、

この世の悪は、法律によって、人間によって

正確に裁きを受けることはありません。

 

悪が裁かれないからと言って、

善なる人、義なる人が、

むしろ悪は悪で打つと言い、

悪の側に行くことさえあります。

 

正義とは何なのでしょうか。

 

善と義が滅ぼされないように、

神様が悪を取り締まってくださらないといけません。

 

殺人、盗み、詐欺、批判、悪評、虐待、性犯罪も全て

神様が取り締まってください。

 

特に性犯罪の取り締まりについて、世界的水準が高まるようにしてください。

 

神様がしてください。』

 

 

性犯罪について特に祈るのは

被害者の多くが女性や子供であることから、被害を訴えられずに犯罪が表面化されにくく、

実際の逮捕や裁判になる可能性が極めて低い現実があるので

もっと、神様に頼んでいるのです。

 

「魂的な殺人」と表現されたりしますが、性的な暴力・虐待というのは

被害に遭った人の人生と精神、人格を崩壊させ、破壊する大打撃を与えるので、

特に、深刻に祈っています。

 

 

私は、

 

神様を信じる人です。

 

神様が全知全能で、

すべてを統べ治めることができる、と

 

信じています。

 

しかし、神様が手をつけるには

“人々の叫び”が必要です。

 

裁判官がジャッジを下すには

被告と原告、弁護士と検事が

それぞれ主張し訴えることを聞いてからするように

 

神様も人々の叫びと祈りを聞いてから

手を下す、ということです。

 

 

イエス様の時代に、こういうことがありました。

 

朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。

 

すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、

「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。

 

彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。

しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。

彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。

 

これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。

そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。

女は言った、「主よ、だれもございません」。

 

イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕

 

ヨハネによる福音書 8:2~11

 

 

イエス様が現れる前の法である《律法》においては

罪を犯したこの女性は、石で打ち殺される運命でした。

 

しかしイエス様は

「罪の無い人がそれをしなさい」と教えられたので

自分を顧みた時に心に引っかかるものが無い人は

一人もいなかった。

 

そして、誰も彼女に石を投げつけなかった。

 

というお話です。(*・∀・)ノ

 

皆さんは

このシーンが日常にもある

と、気づかれましたか?

 

そう、

身近にしているネットの中で

SNSの中で

 

こういうことが “今” 頻繁に起こっています。

 

<2000年前の ある日>のことではなく、

今、現代で、現在の、

 

“今日この頃” 

 

こういうことが ありますよね。

 

 

「裁かれるべきだ」「こういう罰を受けるべきだ!」

という主張が、あちこちで見られます。

 

“社会的制裁”

 

という名の石投げの刑が、

この時代に まさに 起きているのです。

 

 

この<石>を投げられる人は

本当に存在するのでしょうか?

 

 

この時代にイエス様が存在したら

「あなたがたの中で罪のない者が、石を投げつけるがよい」。

と仰るのでしょうか?

 

鄭 明析先生は、

若いころに事業の共同者に騙されて詐欺に遭い、

事業資金を全て奪われたことがあります。

 

その当時の先生は、軍隊で鍛えた身体だったので

一発殴れば相手に脳震盪を起こさせるくらい力がありましたが、

一発も手を出すことなく、

むしろ相手に殴られて歯を食いしばるしかなかったそうです。

 

なぜでしょうか?

 

その時先生はイエス様に

【愛には武器が無い】

と言われたからだそうです。

 

とっても悔しくて、無念だったけれども

相手に一発も食らわせることもできずに、去らせました。

 

その後、被害を聞いて怒ったお兄さんが

その人を殺すんじゃないかと心配した先生は、

その事をその人に伝えて、逃がすことまで

してあげたのです。

 

 

【愛には武器が無い】

 

これが

現代の私たちに向かう

メシヤがくれたメッセージです。

 

 

私たちは

窮屈に法に縛られた

囚われの身のような人生を

生きたいのでしょうか。

 

 

いいえ、誰しもが願う国と世界は

 

愛と平和と

安全と安心がある国、

そして世界ではないでしょうか。

 

愛が満ち溢れていて、

戦争が無く平和であって

身も心も安全で安心できる場所

 

それは<天国>と言えるでしょう。

 

 

だから誰でも天国に住みたいと思っているのです。

潜在的に。

 

 

しかし、天国を作り、守り、治められるのは神様しかいません。

 

 

この地球が、世界が、日本が

天国になることを望むなら、

神様に治めてもらうしかありません。

 

神様に頼んで、叫んで、祈るのです。

 

『神様の国にしてください』と。

 

 

祈れば、

 

もっと多くの人が祈るのならば、

 

神様が

 

もっと! ずっと! 早く!

 

すっくと立ちあがって

 

行なってくださることでしょう。

 

 

(´∀`*)。:.゚アンニョン* 

 

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