ハレルヤ!あおです。(*・∀・)ノ。* ゚
突然ですが、、、
サタン(悪魔)と神様の話をしますね。
(-∀-`)ホホウ
“サタン”というのはヘブライ語に由来する「敵対する者」という意味がありますが
簡単に言うと、神様に反対する奴ら=悪魔のことを指します。
この悪魔とかサタンとか言われる存在は、肉眼では見えない霊物で
霊感(いわゆる第六感とか言われるもの)が強いと感じたり、見たりすることがあります。
そして、このサタンの行為の一つが
『善の中に悪を混ぜる』というものです。
この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
ヨハネの黙示録12:9
サタンのターゲットは人間で、人間を惑わすことに全身全霊を尽くしています。(霊だけに)
つまり人間が神様を信じないように誤解させたり、神様の世界に行かないように仕向けています。
純水の中に1滴の絵の具を垂らしたら、それはもう純水ではないように、
人間が本来求める真・善・美の中に、悪を紛れ込ませて混乱させるのです。
真実や正義を追求するヒーローはみんなの憧れかもしれませんが、
フィクションの世界ではかっこよく活躍して、敵を成敗し、勝利を収めていても
現実にはそんなに強くてかっこいい正義の味方はめったにいないわけです。
(だからフィクションを作るのでしょうね(。 =_=) )
現実世界では、地位や権力や名誉がある人達がむしろ
不正をしやすかったり、できる立場だったりするので、
不正をする人たちの方が、
正しくあろうとする人たちよりも
ずっと強くて、成功している立場に見えたりします。
そして不正が蔓延した世界で何が起こるのかと言えば、
是正しようと行動する人を煙たがり、そういう人をむしろ“悪人”扱いする
というものです。
このような状況では、むしろ『正しいことこそが悪』だと言わんばかりです。
だから正義のヒーローはとっても貧弱でか弱く見えるし
軽んじられて恥をかかされ、かっこ悪く見えることでしょう。
そんなかっこ悪くて弱そうな立場に あえて立つ人間がいるならば
その人は、相当、精神が強くないといけません。(-ω-。)ネ
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ローマ人への手紙12:2
一方で神様は、絶対に善と悪を混ぜません。善と悪を割きます。
だから不正を甘んじて見過ごす、放置するという存在者では無いということです。
もちろん、悪人が心を翻して正しい道に行くことを願って、
猶予期間は与えられます。
あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。
エゼキエル書33:11
しかし、永久に放置しておくことはなさいません。
なぜなら、
かっこ悪くて恥をかかされて
今にも心が折れそうな正義の味方が悪にやられ続け、無念な思いをし続けることを放っておけないし、
正しいことを追求する側がずっと負けて悔しい思いをして歯を食いしばっているのを
黙って見過ごしてはいられないからです。
そういう神様だ、ということです。
なんと・・・!
<神様こそが、真の正義の味方>だ
ということですね。(´∀`*) アラマァ
よく日本人は、
「神様を信じる人って、精神が弱い人なんじゃない?」って思ったりします。
でも私が見てきた、
【本当に信仰のある人】というのは
精神がめっっっッッッッちゃくちゃ強いです!!!!
ビックリしますよ(゚ロ゚;)
なので、今日は
神様を信じるって
真実や
善なることや
美しい世界を求めることって
実はめっっっ・・・・・・ッッッッちゃ
(2回目)
精神力いるんだぜ╭( ・ㅂ・)و̑ グッ
ということを主張しておきます笑
なぜって、神様も簡単に悪の側を「ハイ、サヨナラ!」って
やっつけてくださるわけじゃないのに
忍耐して、祈り続けて
自分のすべきことを淡々とし続けるって
相当な気力と根性と信念が無いと
できないモンでっせ。_| ̄|○
しかも愚痴ったり悪態ついたりするわけでも無く、
そうするんですからね。
今は感性の時代だと言われていて、
ビジネスの世界のエリート達も美意識を高めるために
出勤前の朝っぱらからアートに触れたりしているらしいです。
数年前からそういった本も出ていることを
ついさっき (。-ω-) 知りました。
時代の変化に法律も追いつかない昨今の世界では、
真・善・美を基準にした判断力と決断力が必要で、
そのために感性を磨き、美意識を持つことが求められているのだとか。
正しい姿勢とか、正しい箸の持ち方とか、正しいマナーとかって
美しさと相まっているものですよね。
逆に不正って汚らしい感じがぬぐえません。
そういう意味でも、
美意識がこれからの重要な判断基準になるというのは
とてもいいなと思いました。
私は、「摂理を出たい」と思ったことが12年経っても1度もありません。
それは一般的にキリスト教のイメージで思われているような
「キリストを信じないと地獄に落ちるぞ」とかいうことを言われて
恐れているからでもないし、
(ちなみに摂理でそういう風に言われたことは無い(・∀・))
洗脳されて、考えが狭くなっているからでもありません。
(むしもっと広い視野で人と世界を見るようになりました。)
私は至極単純に、
神様の世界が好きです。
善と悪を混ぜない、その神様が。
善は善とし、悪は悪として
接せられる神様が
私はシンプルに“自分の好み”で、
<それがいい>と思っている人間なわけです。
よくドラマとかで宗教団体=悪の教団!洗脳!脅迫!みたいな構図が多いんですけどね(;´∀`)
教会に通ったら抜けられなくなるんじゃないかな?とか
脱会しないように色々縛られたり脅されたりするものなのかな?とか
思っている人が、これを読んでいる方の中にいるかはわかりませんが(*´∀`)
少なくとも私は
自分が好きで、好んで
いいと思って、自分で選んで
神様の摂理世界に生きることにした
ということを ここに宣言しておきます!!(なぜΣ(・ω・ノ)ノ!)
それでは、また☆
(´◡`) 。:.゚アンニョン*