信仰は意志だ ~性犯罪の嫌疑をかけられた先生を、私が支持するワケ~

 

ハレルヤ!お久しぶりです。

あおです。ヽ(・∀・)ノ♪

 

この記事が、

いつどこで誰に読まれるのか

私にはわかりません。

 

でも、キリスト教福音宣教会の一員として生涯を生きる者としては

一言書いておきたいと思い、

筆(という名のPC)を執りました。…( ..)φ

 

言葉より実践だ。

 

これは 鄭 明析氏(以下 先生) の信仰哲学です。

 

このことからも分かるように、

先生は言葉よりも行ないで見せ、教えてくださる方であり

 

その行ないは

いつも誠実で嘘がありません。

 

いいところだけを見せているのでは?と思うかもしれませんが

先生の生活に四六時中 同伴した人でさえも、

 

先生はいつも

『ひたすら神様』という姿勢と精神で

実直に生きられている方だ

 

と、表現します。

 

言葉と行ないが一致すること、言行一致。

それは素晴らしいことだし、そうであるべきだと多くの人が思っていたとしても

 

実際にそのようにできる人はあまりいません。

 

しかし、先生は

言行一致もさることながら

 

《言葉より実践》

 

で、世界中の多くの人たちを

いつも 魅了しています。

 

先生は10年の懲役で、

2018年の冬まで、牢獄で生活をされました。

 

元々は、性犯罪の嫌疑をかけられて聴取が始まりましたが、

中国での取り調べ期間には、何の根拠・証拠も出ることなく

「あなたは女性に騙されたのだ」と中国の警察は言ったそうです。

 

その後、韓国に帰国してから下された10年の判決は

 

証拠や事実に対する判決というよりは

いわば 宗教裁判

 

韓国の宗教や、世論に対する結果

と捉えられる判決だったのです。

 

 

私自身は、性犯罪に対して

形容しがたい嫌悪感を持っている人です。

 

そういう女性はとても多いと思いますし、

もし事実として、先生がそういう方であったなら

多くの女性会員は 摂理から脱会したでしょうし

 

キリスト教福音宣教会は、すでに消滅していたのではないでしょうか?

 

しかし、現時点では男性会員よりむしろ女性会員の方が

在籍数が多いです。

 

それだけ多くの女性たちにとって、

 

先生は《信頼できる》存在だ

 

という証拠です。(。-ω-)

 

 

摂理の教会がどんなところなのか、

キリスト教福音宣教会がどんな組織、団体なのか

 

気になっていますか??(´∀`*)

 

 

摂理では

 

男女の性をモチーフにした怪しい儀式

 

は、もちろんありません。笑

 

 

<結婚>や<素敵な家族>をウリにして勧誘することも無いですし、

 

男女間のエチケットやマナーについては

かなりきちんとした団体だと思います。

 

 

セクハラとは無縁の

清潔感のある身だしなみや言動を心掛けている人たちが

とても多いです。

 

 

そういう人たちが先生を支持している

ということを無視して、

 

メディアが垂れ流す 悪意ある情報を

絶対に鵜吞みにしないでいただきたい

と、強く願っています。

 

 

冒頭に、先生の信仰哲学を紹介しましたが

私にも実は 信仰哲学があります。(* ´艸`)

 

 

すでにタイトルでネタバレしていますが、

それは

 

【信仰は意志だ】

 

というものです。

 

 

信仰って、感情的なものというよりは

かなり

精神力と意思の力が試されるものです。(-∀-`)

 

 

聖書には

沢山の信仰のエキスパート達が出てきますが

 

何がすごいって

精神力と揺るぎない意志の強さが

ものすごい・・・・・・!! ( ・ㅂ・)و̑ 

 

 

この信仰はもちろん

ヒト信仰じゃないですよ。

 

カルト宗教ってだいたい、”教祖となるその人”を信仰していたりするのですが

 

キリスト教はもちろん

 

【全知全能な神様】を信仰しているので、

私達は決して

教祖を信仰しているのではありません。

 

そして、

目に見えない神様を信仰するには

 

意志が無ければ

できません。

 

「神様を信じることは自由意志だ」

というのは、

 

信じてもいいし、信じなくてもいいということではなく

 

自らの意思を持って信じなければ意味がない。

 

だから

“自由という名の自己責任”

が付いているだけです。

 

私にとって信仰とは

 

感情的なもの

かりそめの安心感や

自己暗示的なもの

ではなく、

 

《はっきりとした意志》だ

ということです。

 

自分の意志だから

強くも弱くも自分次第。

 

誰かに左右されたり、

奪われたりするものではなく、

自分次第。

 

 

先生が教えていることは

神様についてのこと

生きることと死ぬことについてです。

 

 

それは、

この世の誰もが

知りたいと思っていることではないですか?

 

 

話される内容を、ちゃんと聞いてみれば

 

性犯罪とは 程遠い生き方をされている方だと

 

知ることができます。

 

 

そして、それは

とてもステキで、綺麗な生き方だと

感じられるでしょう。

 

 

悪意を持った作為的な情報や

人を陥れようとする情報を発信する人は

少なからずいます。

 

芸能人の中にも、ほとほと困っている人がいるみたいですね。

 

私は

自分自身の名誉毀損について、

もっとハッキリと強く 声を上げられる社会

世の中、世界基準が作られるように

 

日々祈っています。

 

先生に対する名誉毀損

摂理に対する名誉毀損は

私自身に対する名誉毀損だから

 

私はただ神様に

 

強い意志を持って

 

祈っています。

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