人は死んだらどうなるのか?の答え

人は死んだらどうなるのか?の答え

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ハレルヤ!あおですヽ(・∀・)ノ

 

20代の時にふと気が付いたことがありました。

 

それは、

『問題提起をする人は沢山いるのに、答えを教える人はいない』

ということです。

 

映画やドラマや、何かのメディアで発信されるのは『こういう問題がある(起きている)』
ということばかりで、【答え】を提示してくれるものではありませんでした。

 

もちろん、学校で教わることや、学力テスト、試験の問題には答えがあります。

 

もし答えが無い問題を出題したら点数をつけられないので、《答えがある問題》だけを
出します。

 

でも大学生くらいになると、 “諸説あり” とか “研究中の内容” だとかも出てくるようになって
社会に出ると、《答えの無い(出ない)問題》がいくらでもあることがわかります。

 

特に、【人生の答え】を教えてくれる人は学校にはいなかったし
社会に出てから先輩や上司が教えてくれるわけではありませんでした。(。-ω-)フム

 

さて!そこで今日のトピック

人は死んだらどうなるのか?

の【答え】です。

 

結論から書くと

【霊で霊界に存在するようになる】

です。ヽ(・∀・*)チャラララ―

 

ここからは『霊とはなんぞや?』という
霊についての話をしていきます。

もちろん、これはチョン・ミョンソク先生が私に教えてくださったことです。

 

聖句を見てみましょう。

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。

テサロニケ人への第一の手紙 5:23

 

「あなたがたの霊と心とからだ」と書いてあります。
つまり、私たち人間には、霊と心とからだがある、ということです。

 

テサロニケ人への手紙というのは、イエス・キリストの弟子パウロが書いたものですが
死んだ人に向けて書いた手紙ではありません。

生きている人たちに向けて書いた手紙の中に、霊と心とからだが守られるように、と
書いているのです。

 

パウロは、生きている人たちに、つまり死ぬ前から、霊があると知っていたのですね。

 

よくある誤解は、

肉が死んだら霊になる(肉体がこの世から消失したら霊が生じる)

というものですが、

実は誰しも、この世に肉体が生を受けた時に、すでに自分の霊も一緒に生まれているのです。

 

肉体が生まれた時に外側からは見えない 心(つまり脳) が存在しているのと同様に
肉眼では見えないけれども、誰でも 生まれながらに霊がある、ということです。

 

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

コリント人への第二の手紙 4:16

 

別の手紙でパウロは、肉体を「外なる人」と表現し、霊のことを「内なる人」と表現しています。

しかし、脳のように身体を切って解剖したら霊が見える、ということはありません。

また、身体を切って脳は見えても、 “心” が見えるわけではありません。
心は 言わば 心の目 で見なければわからないように、霊も、霊の目 が開かれないと見られないようになっています。

霊があるのは霊界なので、霊界を見る目(霊の目)が必要です。霊の目は<祈り>によって開かれることもあります。

 

さて (・∀・)
肉体が死んだあと、肉体の成分が霊に変化するわけではなく、もともと肉体と霊体は別個で存在しているのですが、それらは相互関係を持っています

 

その相互関係はちょうど、肉体と心(や精神・考え)の関係に似ています。

例えば、肉体が病気やケガをした時、心もつらくなったり、痛みによる苦しさを感じますよね。

逆に心がとってもハッピーで前向きな時は、寝不足や疲れが溜まっていても、身体を休めることなく活動できたりします。

 

そのように、霊と肉体も別々に存在していながら、相互に影響を与えうる存在なのです。

 

どんな影響を与えるのかというと、

< 肉体の生き方 ⇒ 霊の住む場所を決定 >

というものです。

 

イメージとしては、妊娠中のお母さんと赤ちゃんは別個で存在する個体ですが
お母さんが東京から北海道に引っ越したら、赤ちゃんも北海道に引っ越すことになる、
そのような感じです。

つまり、肉体が生きている時に、霊の運命が決まるということになります。

死んでからどうこうするものではない。

だから、パウロは、生きている人に向かって、霊について言及したのです。

 

そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

ヘブル人への手紙 9:27

 

聖書には、人は「一度だけ死ぬ」と書いてあります。

ある人が生まれて死んだら、そのあとは霊界で存在するようになるので、もう一度肉体になって別の人生を生きることはありません。

人生は一度きりで、必ず死ぬので、どんなに医療が発達しても、死を無くす世界は来ません。

 

ところが、肉体が永遠に生きることはない一方で、霊は永遠に存在します。(*゚ロ゚)!!

 

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

伝道の書 3:11

 

とても幸せを感じる時、これがずーっと続けばいいなぁと思うことはありませんか?

 

でも、それがいつか終わるなら、寂しくて空しいですよね。

 

最高の幸せが永遠に続く世界があるとしたら、それは「天国」だと言えます。

その天国を自分が最後まで満喫するためには、自身にも永遠性がないといけませんよね。

 

だから誰しも、霊が永遠性を持って生まれてくるように、神様は創造なさったということです。

 

天国についてはイエス様が話された内容が新約聖書に沢山あるので、興味がある方は読んでみてください☆

 

さてさて、もう一つ霊についてお話しすると、
実は、霊は成長します。

 

人間には誰しも、霊と心(精神・考え)と肉体(からだ)がある中で、
精神的な成長、肉体的な成長はあるのに、霊が一定(不変)だとしたら不自然ではないでしょうか?

 

もちろん、霊も成長するし、段階があるのです。(*・ω・)ノ

 

まず最初の段階は、雲や影、霧や虹のような段階です。

亡霊とか幽霊、ゴーストとか言われてイメージするような、もやもやした感じの状態ですね。
形体の形成途中なので、触ったり、掴んだりすることはできません。

その次の段階はある程度人間のような形になっている状態、そして完全に成長した霊の場合は、はっきりと形があり、いわゆる骨も肉もあるような段階になります。

 

わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔 24:40こう言って、手と足とをお見せになった。〕

ルカによる福音書 24:39‐40

 

よく聞く、幽霊には足が無いという話は嘘ではないようですね。
ただそれは成長できていない霊であって、完成した霊はそうではないということを
イエス様がご自身の姿を弟子に見せながら話されているシーンです。

 

イエス様の復活についても、 “諸説あり” ではなく、先生が明確に教えてくださったことがあるのですが・・・
それはまた別の機会に書くことにしますね。( ..)φ

 

では、霧とか影のような「もやもや」で永遠に存在することなく!
人間のかたちで、しかも肉体がある時と同じようなしっかりとした姿の霊で永遠に生きるためには
どうしたらいいのでしょうか?

その答えは有名なこの聖句からヽ(´∀`)ノ

 

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

マタイによる福音書 4:4

 

人が肉体的に成長するためにはパン(食べ物)が必要であり、
精神的に成長するには 知識や経験、体験などが必要であるように、
霊を成長させるためにも、必要なものがあります。

それが、「神の口から出る一つ一つの言葉(ことば)」=御言葉・真理 だとイエス様は話されたのです。

神様の真理を知らずに、霊が勝手に成長することはありません。
食べ物が無く、飢えたら死ぬように、霊も「死」と言えるような状態になります。

それは、存在が消えるということではなく、機能を果たせない、という表現が分かりやすいかと思います。

元気がなく、暗~い感じで、もやもやと漂う有り様になってしまうということです。

 

だから聖書にはこのように書いてあります。

 

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

伝道の書 12:1

 

大学生の時にある授業で、末期がんの患者さんの心理状態を体験する、という体験型(?)講義があったのですが、その際に感じたのは、死の恐怖の根本原因は<喪失感>だとわかりました。

 

持っていた(と思っている)すべてのモノ・ヒト・コトは何一つ残らない、あの世に持っていけない、という喪失感が、死を “嫌なもの”、 “避けたいもの” にしているのだと。

 

肉体が死んだら全てが無に帰すのではありません。

 

肉体の一生を霊が引き継ぎ、霊だけの生が始まるタイミングが、肉体の死なのです。

 

物質的なものは霊界に持っていけませんが、肉体の一生は霊に反映されて続いていきます。

 

肉体が生きる中で行なった良いことも、悪いことも、神様の秤ですべてジャッジされるのです。

 

死んだ後さばきをうけることが、人間に定まっているように

 

では、どう生きたらいいのか。

 

(君たちはどう生きるか なんて映画もありましたね(´∀`*))

 

答えはどこにあるのでしょうか?

 

実は、そんな悩ましい人生の問題と 答え が書いてある参考書があるんですよ~~~

本屋さんにもネットにも必ずあります。

 

 

あ、その参考書のタイトルは

『聖書』です。

 

 

(* ´艸`)

 

まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

ガラテヤ人への手紙 6:7‐9

 

 

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